先の見通しが持ちにくい中で日々を過ごすしかないときが、時々あります。もしかすると受験生のときはそうだったかもしれませんね。大きな怪我をしたときや、自分や家族の闘病生活をしなければならないときもそうでしょう。就職活動に苦戦しているときも、進む道を決めかねているときも、頭の大半がいつも晴れない状態かと思います。また、各種の災害や、経験したことのない危機が起こっているときも、自分次第で先を見通せる状況ではなく、不確実な時間が続きます。なんとなくでも自分の明日の生活が予測できることは、知らず知らずのところで心理的健康を下支えしているのだと、あらためて思います。だからこそ、日常と呼べるこの想定が揺らいでいるときには、生活の隅のささやかなことでいいのでせめて自分のいつものお決まりの行動は維持し、小さな選択を自分の好きな選択にして、気持ちの拠り所を作りましょう。
「不安」と表現されるものの中には、情報不足による疑問、現実的な心配、もどかしさや焦り、傷つきや怒りの表現、恐怖に近い感情など、人によって状況によって様々なものがあるので、まずは自分ならではの思いを確かめることが大事です。また、感情や本心というものは、複数あることがほとんどです。しかし、相反するかのように思える気持ちを両方認めれば折り合いをつけるのが難しくなるため、白か黒かひとつに押さえつけたくなったり、「よい感情」「こう思うべき」など善悪や価値を持ち込んで変形させたりしてしまうことがあります。アンバランスな状態で行動を選択する前に、複数の気持ちのそのままを同居させておけるようになるのは、人の心の自然でもあり、成長のひとつでもあります。
不確実で不安なときだからこそ発見する本心もあります。人に支えを求める力を伸ばす契機にもなり得ます。見えていなかったことが見えることもあるでしょうし、自分にとって大切なものがはっきりしてくることもあるでしょう。苦しい時間の中で矛盾するかのようにつかみとったそれらを自分の明日につなぎながら、知恵と深呼吸を忘れずに過ごしていけますよう、願っています。
2020年3月30日 杉村