こんにちは。カウンセラーの榎本です。
カウンセリング中などに,学生の皆さんと話しをしていて,学会の話題が出ると,
「何学会?」「どんな研究領域?」と尋ね教えてもらうのが好きです。
内容をうかがっては「へ~!」「ほ~!」とただただ感心しているだけなのですが。
私たちのように大学で援助活動を行っているカウンセラー,研究者が組織的に集まっている「学生相談学会」という学会もあります。
つい先日この学会が主催する研修会に参加し,臨床教育学がご専門の西平直教授(京都大学)の講演を聴きました。
『人生を語る複数の文法―人生の中で「学生」とはどういう時期か』という題目でのお話でした。
学生とはどういう時期か,西平先生がいくつかの観点から解説された中で,印象に残った二つの視点があります。
一つは〝親子関係から相対的に距離をとることのできる時期″というもの,
もう一つは〝自分自身のケアをする時間がとれる時期″というものです。
E・H・エリクソンという思想家が提唱した「ジェネレイショナル・サイクル」という考え方からみると,
人は,「育てる-育てられる」連鎖のなかで生きていると言えます。
そのサイクルのなかで,学生の時期とは,子どものように「育てられる」時期は脱し,かと言ってまだ親として「育てる」時期でもない。
生物学的な世代連鎖の中で,余白のような狭間のようなときのようです。
これは「育てる-育てられる」という親や子の役割から離れて,自分だけのことを見て生きていける時間だということでしょう。
人生を俯瞰したとき,そういう時間はそう多くはなく,特別な時なのだなと気づかされます。
大学を卒業し社会に出て時が経てば,自分の子どもを育てたり,あるいはさらに時間が進めば親の介護をするなど,
人は関係の中で誰かをケアする立場になっていきます。
しかし,学生の間は,そうしたケアの関係からいっとき離れる期間ということになります。
誰かのためではなく自分のためだけに使える存分な時間。その時間で自分自身をケアする。
ケアとは,世話や配慮,気配り,手入れ,メンテナスなどの意味を持ちます。
自分自身をケアするというのは,自分を良い状態に保つため手をかけてあげることと言えるでしょうか。
仲間,趣味,生きがい,経験や視野,教養…自分をケアすることによって,
学生の時だからこそ手に入れられるもの,培えるものがたくさんありそうです。
長い人生の中で,自分のために時間を遣うことが困難になる時期が,いずれ訪れるかもしれません。
その時に,学生の時ケアした自分が,自分を支えてくれるのかもしれないと思います。
今年もあとわずかですね。どうぞよいお年をお迎えください。