読書の思い出

2018.08.07

こんにちは、カウンセラーの藤原です。

最近、親戚の集まりで小学5年生の女の子に初めて会う機会がありました。最初こそ私のことを警戒しながら遠巻きに見ていた彼女でしたが、私が「東京から来た人」だと知るや興味を惹かれたのか、出会って2日目にはあれこれと質問攻めに合うほどに距離が縮まりました。
あるとき、彼女から夏休みの宿題について愚痴混じりの相談をされました。「読書感想文なんて一人しか賞状もらえないしつまんない」のだそうです(同感です)。その話の流れで、「小学生のとき何読んでた?」と尋ねられました。私は小学5年生向けの本をなんとか思い出そうとしばらく頭を捻ったあげく、「ミヒャエル・エンデのモモ」と答えました。彼女はその書名を知らなかったようで、「量多い?長いと読みきれないし」とブツブツ言っていました。自分が小学生のときに何を読んでいたかあまり思い出せなかったことを少し心残りに感じながら、その後もしばらく本について考えていました。

私自身について言えば、子どもの頃は本の虫でした。特に夏休みに祖父母の家に帰省したときなどは、虫取りやスイカ割りにあまり魅力を感じないタイプの子どもでしたので、視力低下を心配されるほどに食事の時間以外はひたすら本を読んでいた気がします。
小学生の頃に好んでいたのは、今思えば伝記と星新一のショートショートでした。伝記と言っても有名人の偉業エピソードはほとんど印象に残っていないのですが、今でも覚えているのはキュリー夫人が自転車で新婚旅行に出発する間際に撮った写真と、ジェンナーが嫌がる子どもの腕に種痘を接種しているイラストです。
前者については、偉人伝に書かれるような人が素朴な普段着を来て自転車で気軽に新婚旅行に出かけていく姿がとても新鮮に感じられたのだと思います。後者については、その時代特有の事情があるとは言え、医者ともあろうものが子どもを使って実験をしている姿が偉人伝のイラストとして掲載されていることに落ち着かない気持ちになったのを覚えています。
また、星新一のショートショートについては登場人物に決まった名前や込み入った性格が与えられていないので、自分で想像を巡らせながらストーリーを楽しめるところが好きでした。

三つ子の魂百までといいますが、こういった好みは今の自分のありようにも繋がっているように思います。出来合いのきれいにまとまったお話ではなくて、まとまりからはみ出したサイドストーリーの部分にこそより引き込まれますし、何かを見たり聞いたりするときも想像の余地が残されているような余韻のあるものが好きです。
夏休みに入り、普段とは少し違う時間の過ごし方をされている人も多いことと思います。この機会に小さい頃好きだったものと現在の自分とのつながりに思いを巡らせてみるのも面白いのではないでしょうか。