「コンポジション」からの連想

モンドリアンという名前にピンと来なくても、「コンポジション」と名付けられた一連の作品は一度はどこかで目にしたことがあると思います。赤、白、青、黄などのカラフルな四角形が、太くて黒い線で区切られて配置された絵です。おしゃれで、モダンなイメージでしょうか。無機質で冷たい印象を持つ人もいるかもしれません。

先日、23年ぶりに新宿で開催されているモンドリアン展を見に行きました。代表作の一つである「大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション」(以下、「コンポジション」)も出展されていました。

モンドリアンの絵画の一つの特徴は、非・絵画的なものを排し、絵画そのものを描こうとしたところだそうです。そのため、モンドリアンは絵に額縁をつけませんでした。「コンポジション」を横から見ると、額縁よりもキャンバスのほうが高さがあり、せり出しています。額縁すらモンドリアンにとっては絵を絵であらしめるためには不必要なものだったようです。

絵画そのものとはどういうことなのか、私は絵の専門家ではないのでわかりません。ただ、「コンポジション」を見ていると、不思議な感覚をおぼえます。 「コンポジション」という画題は全然ヒントになりませんし、モチーフもわかりませんし、図と地の区別もできません。ただ、使われているのは強い色と線だけなのに、全体としては調和しているように思えます。どこか一点に視点が引き寄せられることはなく、視野全体にバランスよく絵全体が収まってくるような感覚があります。描かれている内容が判然としないにもかかわらず、確かにこれは絵画そのものを見ている体験のようにも思われました。

今あらためて、人の心のあり方と重ね合わせてこの絵のことを思い出しています。

最初の緊急事態宣言から1年以上が過ぎました。 感染防止を念頭においた生活様式にも多くの人が慣れ、ワクチン接種が少しずつ進んでいます。他国では感染拡大以前の日常を取り戻しつつあるというニュースも聞かれるようになりました。一方で、変異株の影響や、オリンピック開催等に伴う感染の再拡大を懸念する声もあります。前向きなニュースと心配なニュースが混在するようになり、徹底自粛一辺倒だったムードが少しずつ変化しつつある中で、新たな不安や焦りなどを感じていらっしゃる人もおられるでしょうか。

強い感情をキャッチすると私達はついそれらに注意を向けてしまいますし、その感情が心そのものであるかのように錯覚します。しかし絵に描かれた風景や静物が絵画そのものではないように、不安や焦りは心の状態であって、心そのものではありません。

モンドリアンは絵そのものを鮮やかな色彩と直線の配置として提示しました。もし心そのものが見られるとしたらどんなふうに見えるのでしょう。 器や箱のように、入れ物のような形でしょうか。あるいは粘土のように柔らかで自由自在に形を変えられるものでしょうか。広い海や空など、とても大きなものを想像する人もいるかもしれません。

落ち着かない日々がまだしばらく続きそうです。心の状態だけにとらわれず、あなたの心そのものがどんな姿かを眺めてみるよい機会かもしれません。どうぞお気軽に学生相談所をご利用ください。

 

参考:赤根和生(1984) 「ピート・モンドリアン : その人と芸術 改訂新版 」 美術出版社